インドでボランティアをした感想 マザーハウスで人生観を変える。
前回の続きです。
今日はインドのボランティア活動をして、起こった出来事や体験を通して感じたことを書いていきます。
知的障害者の人に突き飛ばされた話
ボランティア活動2日目に起こった出来事で、その日は日曜日だったので、朝から1時間ほどの(ミサ)お祈り行われました。
そこでは実際に神父を招きミサが行われ、カトリック信者の患者が集まり祈りを捧げていいて、私も入り口付近で立って見ていました。
その時、患者の1人である知的障害の男性がフラフラ歩いて来て、祈り中の人々の輪に突入しようとしていました。
入り口付近にいた私はそれを止めようと彼の腕を掴み、部屋に戻れというように指示したが、彼は言うことを聞かず、私を突き飛ばしたのです。
それを目撃したベテランボランティアはすかさず彼を止め、お菓子を餌にして部屋に戻していきましたが、予想外のことに私はとても驚きました。
確かに彼の力が強く、突然強く突き飛ばされたことに驚きましたが、それ以上に自分は彼をコントロールする力もない無力な人間なんだということにショックを受けました。
もしかしたら彼も輪に混ざって祈りを捧げたかったのだろうかと考えると、私のしたことは正しかったのだろうかわからなくなってしまいました。
異臭の患者
作業をしていると、突然入り口から鼻が取れるかと思うくらいの異臭がしてきました。
目をやると、新しく来たと思われる2人の男性が車椅子に引かれ、連れてこられていました。
どちらともひどく衰退しており、そのうちの1人は泥まみれの包帯を巻いておりうなされていました。
私はベテランボランティアの人に呼ばれて、彼のシャツを脱がせてやれということで臭いに我慢しながら脱がせてあげました。その時胸ポケットから小銭が落ちたのですが、20ルピーにも満たない額で、おそらくそれが彼の全財産だったのでしょう。
服を脱がせると、ベテランボランティアの男が彼の身体を洗い、その時に頭をカミソリで坊主にしていきました。
さらに彼の泥まみれの包帯をハサミで切り取ると、右足の内側くるぶしの少し上から膝下まで皮膚が剥ぎ取られ肉が剥き出しになっていたのが見えました。
ベテランボランティアは消毒するために身体を抑えるようにお願いしたかったんだと思いますが、なんとも痛いしい姿に近くでいることができませんでした。
向き合わないといけないことはわかってましたが、いざこのような姿を間近で見ると身体は動いてくれないということがわかりました。
おばあちゃんの死体を運ぶお手伝い
またある時作業をしていると荷物を運んで欲しいということで、運ぶのを手伝いました。担架に白い布が覆い被さっておりすぐに死体であることを察しました。
前夜に亡くなった方の死体で、次の日に燃やされるそうで、そのために一時的に保管するために保管庫へ。
白い布の物体を見ながら、ここで最期を迎えてどう思ったのだろうを考えていました。
路上生活の方が幸せだったのか、それとも残り少ない時間を人間らしい生活ができて満足だったのだろうか。
ボランティアを通して
人はいずれは死にます。だけど最期をどこで、どう過ごすかが重要だと思います。残念ながらインドは苦しみながら最期を迎える方が多いだろう。これはインドに限ったことではないですが。
世界の多くの人は貧困、環境、身分、によって生活が制限され、その多くは恵まれずに人生を終えることが多いです。
日本は生活保護などの働かない人を支援する制度がありますし、道で人が倒れていたら救急車を呼んでくれるだろうし、お腹が空いてれば食べ物を分けてくれる人がいるでしょう。そんな日本という恵まれた環境に感謝し精一杯生きる。それが僕らがしなければいけない人生の過ごし方なのではないでしょうか。
辛い現実を目の当たりにし、ショックを受けるかのしれませんが、経験する価値は非常あります。機会があれば是非。↓