東ヨーロッパ縦断の旅 ルーマニアからモルドバへ モルドバには400円で泊まれるゲストハウスがある!
東ヨーロッパ縦断の旅 ルーマニアのブカレストを歩く - 旅の解体新書
東ヨーロッパを旅する人にとって、私のようにブルガリア→ルーマニア→モルドバのルートを取るのは珍しいらしく、ゲストハウスで出会う旅人不思議そうにしていた。
というのもモルドバにはなんにもないらしく、あまり行っても楽しくないというのが一般的な考えだった。
なにもないなら見つけよう!
そう思いモルドバ行きのバスチケットを買った。
ルーマニアからモルドバへ
バスの出発時間は夜中の2時だったので、10時頃ゲストハウスを出て、バスロータリーへ向かった。
途中、昼間に道でもらったマクドナルドクーポンを握りしめ、お店に寄った。
なんと、値段500円ほどで、チーズバーガーセットのLサイズが2つ!
お得~
時刻通りにモルドバ行きのバスが来た。
ミニバスだったので、やはりルーマニアからモルドバに行く人の少なさを実感した。
夜中だったこともあり、出発と同時に深い眠りにつけたので、バス移動の時間はあっという間だった。
1泊400円のゲストハウスへ
朝の10時にモルドバの中心部に到着した。
近くのケバブ屋さんでWifiを繋ぎ、ここから近くて、安いゲストハウスを調べた。
すると近くで400円で泊まれるゲストハウスを見つけたので、そこに向かうことにした。
住宅街の中にある小さなゲストハウス
無口なおじさんオーナーのゲストハウスで、1階と2階に部屋が1つずつあるだけだった。
無口なおじさんオーナーはなぜ予約をしていないのか尋ねられ、一旦は宿泊を渋られた。
だか、ベッドには空きがあるし、暇そうだったので、おそらく彼なりの見栄だろう。
次の日、私がダイニングテーブルでだらだらしていると、彼と彼の友達がやって来た。
ウォッカを飲まないかと誘われ、3人で杯を交わした。
ウォッカを乾杯からのイッキ飲みは、お酒の弱い私にとってハードだったが、楽しい時間を過ごした。
もっとも私は顔を真っ赤にしながら飲んでいるのを笑われてしまったが...
そんなこともあり、モルドバでの400円のゲストハウスは私にとって特別な時間だった。
安いから汚いかと言われたらまったくそうではないし、高いから良いということも言い切れない。
旅での宿選びは、旅の良し悪しを決める重要なポイントであるなと感じた。
東ヨーロッパ縦断の旅 ルーマニアのブカレストを歩く
東ヨーロッパ縦断の旅 ブルガリアからルーマニアへ バス移動の旅 - 旅の解体新書
ルーマニアのブカレストはなんだか殺伐としていて、少し暗い雰囲気のある町だった。
というのも、ブルガリアでは白い建物が多かったが、ルーマニアは茶色の建物が多い。
更には建物の外壁が所々剥がれ落ち、鉄骨が剥き出しの建物もあった。
街の色合いでこんなにもイメージが変わるとは、なかなか面白かった。
今日はルーマニアのおすすめの歩き方を紹介していきたい。
旧市街
ルーマニアの街は写真でも分かる通り、建物が美しい。
バルカンの小パリとも言われており、その美しさは時間を忘れるほど。
1.聖アントニー教
幾度も起こった火災を乗り越えて再建され、現在に至るそう。
2.スタヴロポレオス教会
旧市街にある小さな教会で、壁一面に描かれたフレスコ画に息を飲む間違いなし。
3.世界一美しい書店
旧市街のメインストリート、リプスカニ通り に建つ書店で、白を基調とした美しい内装。
世界一美しい書店とも言われ、まるでお城のような場所。
ただ、美しさにこだわる反面、肝心の本が少ない印象だった。
4.議事堂宮殿(国民の館)
ルーマニアの独裁者であったチャウシェスクが建てた巨大な議事堂宮殿。
アメリカのワシントンのペンタゴンについで、世界で二番目に大きな建物なんだとか
部屋数はなんと、3017室
実際にツアーで見て回ることもできるらしい。
5.凱旋門
ルーマニア統一の記念として造られたもの。
旧市街からは地下鉄を使って行くことができる。
「アビアトリロル駅」が最寄りだが、正直凱旋門以外に何もないので、観光客は少ない印象だった。
ルーマニアと言えば
ルーマニアと言えば吸血鬼ドラキュラ
お土産屋にはドラキュラグッズが大量に置いてあり、お土産選びに迷うことなし。
ちなみに、吸血鬼ドラキュラのモデルはルーマニア人のウラド三世という男
彼が吸血鬼ドラキュラと言われる理由は、その残虐さ。
彼は「串刺し公」と呼ばれており、人間を串刺しする処刑を行なっていたんだとか。
ルーマニアは観光スポットが沢山の美しい街だと思う。西洋や北欧にはない、美しさがあり、魅力がある。
言葉では表せないルーマニアの魅力があるので、是非行って実感して欲しい。
ヨーロッパ旅行と言えば東欧! そしたルーマニア!
そんな日は近いのではないだろうか...
東ヨーロッパ縦断の旅 ブルガリアからルーマニアへ バス移動の旅
東ヨーロッパ縦断の旅 ブルガリアのソフィアを観光 - 旅の解体新書
ブルガリアを堪能した私は次の目的地をルーマニアのブカレストに決めた。
ブルガリアのソフィアのバス停からルーマニアの首都ブカレストまでのバスが午前9時半発だったため、バス会社でチケットを買おうと少し早めにゲストハウスを出た。
バス会社のオフィスが9時オープンということだったので、時間通りに来て並んでいた。
しかし5分、10分経ってもオフィスが開かない。
15分経った時にようやく従業員が来て、オフィスが開いた。しかし先に並んでいたアラブ系の人がバスチケットを購入しようとしたが、何やら揉めている。
バス出発の5分前にようやく自分の番になり、チケットを購入できた。
事前に調べてた値段の倍の料金だった。
高いと思いながらも、大慌てで購入し、バスロータリーに向かった。
荷物を載せて、椅子に座ったと同時に出発した。
事前に調べてた値段と違うし、時間はぎりぎりで大慌てしてしまったので、次からは事前にインターネット購入していこうと思った。
バス移動中は特にやることもなく、景色を眺めたり、睡眠を取ったりして時間を使った。
しかし、最悪なことに首都ブカレストのバス停というものの、泊まろうとしていたゲストハウスからは遠い。
「渋谷や原宿に行きたいのに東京駅で降ろされた」
そんな感じだ。
こういうところはバス移動の嫌いなところだ。
仕方ないので優しそうなおばちゃんにそこまでの道を聞いたが、英語は通じない!
なんとなく理解し、とりあえず地下鉄に乗れと。
地下鉄に行き、見よう見まねで切符を買い、多くの人が降りていく駅で降りると、自分が求めてた場所に着いた。
そしてそのままゲストハウスにチェックインした。
レトロな雰囲気と美人の受付
とても良い!
明日はブカレストの町を歩き回るぞ!
そのために今日は休息...
東ヨーロッパ縦断の旅 ブルガリアのソフィアを観光
東ヨーロッパ縦断の旅 ギリシャからブルガリアへ 過酷なバス移動の旅 - 旅の解体新書
次の日の朝、ブルガリアのソフィアの中心部を観光した。
昨日は夜に到着したためわからなかったが、ソフィアはとても落ち着いた雰囲気で、綺麗な町並みが広がっていた。
ブルガリアの面積は11万912平方キロメートルで、日本のおよそ3分の1で、人口は700万人と埼玉県の人口と同じくらい。
そんなブルガリアとは言えば、ヨーグルト
スーパーで買ったヨーグルト
値段は120円ほどで、正直日本のヨーグルト違いはわからない...
こっちは外で売ってたヨーグルトアイスクリーム。値段は500円くらいで、これはとても美味しい。
ソフィアの町は、徒歩で移動できる範囲で見れる綺麗な教会や町並み、首都のわりにごちゃごちゃしてない落ち着いた雰囲気、澄んだ青空などなどにいいなと思った。
途中でランチのために寄った、店主が日本好きのアットホームなお店に入った。
ケースの中から好きなものを取って食べるスタイルで、私は店主のお任せしてもらった。
ピラフとハンバーグの上にマッシュポテトが乗ってる料理。とても美味しい。
600円くらい
その後散歩しながら大満足でゲストハウスに戻った。
ゲストハウスに戻ると、2人の日本人がいた。
マルタ留学を終え、ヨーロッパを旅してから帰るという彼と、世界一周中の彼。
どちらも僕と同い年だった。
彼らと話して思ったのが、旅は人生と同じだということ。それぞれ目的、行きたい場所、求める物は違くて、それぞれにストーリーがある。
女を探して歩く旅もあれば、お金は気にせず遊びまくる旅もある。
私らは同い年で、1人旅という共通点があったものの考えでいること、やりたいことは全然違くて、こういう旅のスタイルもあるのかという新しい発見になった。
私は北を目指し、彼らは南へ目指して向かって、たまたまブルガリアのゲストハウスで交差した。そして次の日にはそれぞれ別の道を進んでいく。
旅での出会いは素敵だ。
グッドラック👍
東ヨーロッパ縦断の旅 ギリシャからブルガリアへ 過酷なバス移動の旅
[東ヨーロッパ縦断の旅 ギリシャでヒッチハイク - 旅の解体新書
ヒッチハイクでお世話のなったおじさんとは、ギリシャのというところで別れた。
時刻は夜の12時を過ぎており、今からホテルに泊まってもなんだかもったいない気がしたので、バス停のベンチで寝ることにした。
朝の6時過ぎに目的地へのバスが出るから、バス停のベンチで寝ることで寝坊することはないだろう..
次の朝、人々の話し声で起きた。
無事に朝を迎えられた。今考えるとよく何もなくて済んだなと思う。
バスの待合室が開いていたので中に入り「セレス」という町へのチケットを購入した。
とりあえずセレスという街に向かい、そこでブルガリアの首都ソフィアのバスを捕まえようと考えた。
チケットを購入し、セレス行きのバスに乗った。
バスは6割くらいの席が埋まっており、私は真ん中の右側の席に座った。
そしてバスが発車と同時に深い眠りについた。
2時間か3時間後、起きると全員が降りて行き、着いたぞ!とばかりに起こされた。
セレスか?海が見えるぞ。
ドライバーにセレスかどうか尋ねると、
違う。セレスはこのバスじゃない
どうやら乗るバスを間違えたらしい。
後々わかったが、おそらく乗り換えをしなければいけなかったのたが、寝過ごしてそのまま乗って来たことが原因だ。
チケット売ってくれた人は乗り換えがあるなんて言ってなかったよな。。。
幸いにも、戻るバスがすぐ出るようだったので無料で乗せてもらい戻ることになった。
乗り換えるはずだったバス停に戻り、再びチケットを購入。
バスに乗り、再び眠ってしまった。。。
出発から2時間後目を覚めると、バスは止まっており乗客もいない。
あれ?セレスに着いたのか?
目の前にターミナルがあったので無事に着いたようだ。
バスから降りようとしたが、鍵がかかっていたので出られない!
その様子を遠くから見ていた人が、ドライバーを呼んできて、開けてくれた。
寝ていた自分も悪いけど、日本だったら運転手が最後に中を確認して起こしてくれるよな!!
しかし、ここは海外
日本の普通は普通じゃないのが普通だ!
ともかくセレスに到着!
そして、ブルガリアの首都ソフィア行きのバスチケットを購入した。
私は勘違いしていたのが、国際線バスは国際線のバス会社でないと買えないと思っていた。
だから国内線の案内しかない駅では国際線のバスチケットを買えないと思ってたけど、チケットオフィスの人に聞いたらすぐに用意してくれたので、たぶんどこのバス停買えるものなんだな。
つまりわざわざセレスに来なくても朝出発した町から一気にブルガリアに行けたんだ。。
出発時間を30分遅れてバスが到着。
満員のバスに揺られながら5時間後にブルガリアのソフィア降り立った。
バス停でwifi を繋いで近くの安いホテルを見つけ、15分歩いて中国人の若い女性がオーナーのゲストハウスに泊まることにした。
無事にチェックインし、移動ばかりの一日が終わった。
バス移動は思ったより難しい...
東ヨーロッパ縦断の旅 ギリシャでヒッチハイク
東ヨーロッパ縦断の旅 徒歩での国境越えは危険 トルコからギリシャへ - 旅の解体新書
時刻は朝の6時。
車通りの少ないギリシャの入国ゲートは閑散としており、直線上に続くハイウェイはこの先に町があるとは思えないくらいに田舎風景が続いていた。
歩いて町まで行くにしても、とても時間がかかりそうだ。そう思いながら数少ない走ってくる車をダメもとでヒッチハイクしながら前に進んでいた。
歩き始めて10分後
後ろから赤い車が走って来るのを感じ親指を立てた。
すると、無言で彼は手招きをし車を止めた。
そしてギリシャ人の男の車に乗せてもらうことになった。
この時お互いにどこまで乗せてほしいなどの交渉などの会話はなく、まるで乗せることが当たり前かのような雰囲気だった。
彼の名前は、、忘れてしまったが、ロン毛でミュージシャンをやっていそうな50代くらいのおじさんだ。
ヒッチハイク経験談 ギリシャ人と200kmの車の旅 - 旅の解体新書
そのときにしてもらったことは上の記事を読んでほしい。
このおじさんに一日中色んなところに連れていってくれた。
彼との時間は不思議と心地よく、ヒッチハイクをつまらないと思っていた私だったが、そんなことは忘れていた。
眠たいときは寝て、見たいものを見せてくれた。
小さい頃に会ったきりの遠い親戚が遊びに来てドライブでどこまでも連れてってくれた時のような、そんな優しい思い出のようだった。
世の中には見ず知らずのアジア人を自分の車に乗せ、一日中連れ回してくれる神様のような心優しい人がいる。
ヒッチハイクをやってみて、ヒッチハイクしてみたいと会えない貴重な経験をした。そして人の優しさを肌で体感し、いつかは自分が旅人に親切にしたい。
私の旅はまだ会ったことのない多くの人に支えられて成り立っている。
そしてこの先もお世話になるだろう。
「一期一会」
なんだかセンチメンタルな感じだが、この言葉を大切に旅を続けていきたいと思った。
東ヨーロッパ縦断の旅 徒歩での国境越えは危険 トルコからギリシャへ
東ヨーロッパ縦断の旅 ヒッチハイクはつまらない! - 旅の解体新書
手続きを済ませ、特に問題なくトルコの出国ゲートを抜けることができました。
しかし、「ここから歩いて近くの街に行くのは難しいから、バスに乗せてもらえるか交渉しな!」と役員に言われたので、仕方なくトルコの出国ゲートでバスをヒッチハイクすることにしました。
ヒッチハイクはもうやらないつもりだったのに...
なんて甘えたことは言ってられない。乗せてもらえなければギリシャの町に行けないのだから!
さっそくバスの運転手に声をかけました。
「町まで乗せてください!」
もちろんそんなやつに乗せてくれるバスはない!
見守っていた役員も「アンラッキーだったな!ハハハハー」とか言ってるし大変だけど歩いて行ってみることにしました。
近くの売店で、コーラとパンを買っていざ行こう!
気合いを入れて、歩き始めた五分後...
恐ろしいほどでかい銃を持った軍人がいたので、刺激しないようにお辞儀をして通りすぎようとしました。
しかし、軍人が目の前に立ちはだかり怖い顔と強い口調で何かを言ってきました。
なに!なんも悪いことはしてませんよ!
と言わんばかりに私は両手を上げました。
言葉がわからなくて困惑していると、さらに一人軍人が来て私を囲みました。
よくわかんないけど、人生終わった...
そんなことを思っていると、一人の軍人が英語で「ここから先は軍のエリアだから歩いて行くようものなら牢屋行きだ。」と。
そう言うと、一人の軍人がトラックと交渉してくれて、軍のエリアの出口まで乗せてもらえることにしてくれました。
どうやらトルコの出国ゲートとギリシャの入国ゲートの間は干渉地帯として軍のエリアとして使われているようでした。
あのまま歩いて行っていたら、今頃撃たれていたか、牢獄に入っていたのかと思うと恐ろしい...
軍人エリアを抜け、休憩所のようなところで降ろしてもらいそこで少し休憩していると、若いトルコ人が声をかけてきました。
聞くところによるとヒッチハイクでアテネを目指しているという同い年のトルコ人でした。
ここでアテネ行きの長距離トラックを捕まえているようだったので、あわよくば彼が捕まえたトラックに乗せてもらおうとこぼれ玉を狙っていたが、彼はトラックを見つけると一人で行ってしまいました。
結局私は本日中の移動を諦めその夜は休憩所外のベンチで寝りにつきました。
夜中は冷え込み、周りには野良犬、蚊、夜中に大騒ぎするツアー団体客たちに囲まれながら、なんとか朝を迎えることができました。
国境は特に治安が悪いので、今考えると何もなくて良かったなと思うし、私はどこでも寝れるんだ!という自信を身に付けました。
時刻は朝の6時。
歩きながら車が通ればヒッチハイクしようというスタンスで出発。